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バウンダリーと良心

最近よく、境界線について考えています。 誰かに「してほしい」と願うことを、自分に思いっきりやってあげることにしてから、 境界線にだれかがふれた時に、とても気になるようになった。 前までは、「ま、この不快感が、人間社会で生きていくってことさ」 と思っていたんだけれど。 わたしを今取り巻く人間関係で、わかりやすく私の境界線を侵害する人はほぼいない。 どうしてかというと、肉親など自分の意志で切れない関係でない以上、 わたしが境界線を侵害する人との親しい関係を望まないから。 なので、わたしが「うぇーい」と思うときは、結構もよっとした境界線侵害で、 自分でも判断に困ることが多い。 いちばん多く、そして嫌な気持ちになるのは、 操作系の境界線侵害。(この表現、Jさん好きそうね) 「~~してくれるでしょう?」「あなたは~~すべきでしょう?」 と暗に訴える系のあれである。 最近わたしはこの暗にきたメッセージは受け取らないようにしようと決心してるので (受け取らない=キャッチはするけど、それを自分の行動の根拠にしない) 結構あっさり「No」を言う。 けど、この操作系の境界線侵害って結構厄介で、 相手の問題でなく、わたしの内部の問題が引き出されて、 出すべき答えを伝えられなかったりする。 たとえば、 「ここでNOって言ったら、みことばに生きてないって思われる…」 という、「そんなクソみたいなプライドは日本海に捨ててこい」(byH paster) というゆがんだプライドだったり、 「Noって言ったら、この人すねるんだろーな。めんどくせー」 という、相手の反応ありきの面倒くさがりだったり。 なかなか、自分の境界線を守るのって難しいのです。 箴言4:23 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」 と聖書に書かれているとおり、力の限りやらないと、 どうやらよくないものはすぐに入り込んでいく。 このことについて考えを巡らせていた時、 やべー自分もやるかもな、と思った境界線侵害が一つあった。 それは、「自分の良心を人に押し付ける系侵害」。 たとえば、 「どんな人が一緒だろうと、奉仕は奉仕。」 とか、 「どんな内容だろうと、奉仕は奉仕。」 という価値観を、自分が持っていたとする。

これからやりたいこと

28歳9か月 これからやりたいこと。 ・今のお仕事を軌道に乗せる ・余裕のあるひとになる ・衛生管理の資格を取る ・コーヒーの勉強をする ・プリペアエンリッチを受ける、自分でできるようになる ・マリッジカウンセリングを受ける、自分でできるようになる ・境界線や男女の違い等、しっかり学ぶ、人につたえられるようになる ・「ビジネスをする」基本をつかむ ・きちんと利益を出し、与えられたものを正しく用いる人になる ・家族やおかあさんのサポートができる場所をつくる ・じぇいちゃんがのびのび暮らせるおうちをつくる ・家事をきちんとできるようになる ・任されたものをよく管理できるようになりたい ・じぇいちゃんの使命達成をおたすけできる存在になりたい などなど。 ここ2~3年、ピアノが家にないからか、なんとなく賛美や音楽的なところへ のめっていく気持ちがあんまり、ない。 (特に賛美で)「人に認められる音楽」をめざしたら、苦しいだけだから 今はそれはそれでいいのかもしれないけれど。 「弾かなきゃ生きていけねー」みたいな切実さが、今はないだけの話かな。 細かいことを言えば、100リストにできたくらい、 やりたいことはあるけど、 人目にふれる可能性があっても宣言できるのは、これくらい。 30までにできる準備をしておきたい、と焦る気持ちもあり。 良い出会い、良いチャンスがあるといいなー。 それ以上に、みことばで満腹にならなくては、と思いつつ なかなか実行できていない、今日この頃です。

2017.7.20

小さい頃から、「文章を書くのが上手だね」と言われてきた。 思い出せば、それは7歳のころ。 「説明をするんじゃなくて、自分の思ったことを思いっきり書くんだよ」 と言われて、生まれて初めて思いっきり自分が思ったことを書いた読書感想文。 びっくりするほど高い評価をもらって、それ以後、 文章を書くこと以上の評価を別のところで受けたことがなかった。 思春期の頃は、自分や他人を傷つけたいエネルギーや、 外の世界に反応して起きてしまう自分のどうしようもない波を、 ひたすらノートにぶつけ続けた。 ボールペンとノートがなければ生きていけなかった。 高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、 ボールペンとノートは常に持って歩いていた。 じぇいちゃんと婚約してから、あまりノートを持ち歩かなくなったことから考えて、 多分あのノート達はわたしの精神安定剤だったんだろう。 結婚して、新しい春が来て、 新しい仕事を始めて、 そしてはじめて、文章を書こう、と思った。 今まで、別に文章を書くことが好きなわけではない、と思っていた。 それは「得意なこと」であって、「すきなこと」ではない、と。 今も好きになったのかと言われれば、別にそうでもないけど、 たぶん だれかとつながってみたい、と思ったんだと思う。 誰かの顔を見てしまえば、わたしはその顔に合わせて自分を変えてしまうから ひとりで文章を打つことが、自分のまま誰かとつながる早道のような気がして。 30歳になるまでの、あとすこしのじかんのこと 20歳からここまでの時間のこと あの場所へ行く前のこと イエスさまとのこと 教会のこと じぇいちゃんとのこと たいせつなひとたちとのこと 「説明をするんじゃなくて、自分の思ったことを思いっきり書くんだよ」 ちょっとずつのかけらがあつまって なんだか平安な歩みになっていけばいいなと 変わらず思っています。 2017.7.20 kayo